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館内展示

第65回
佳麗なる近代京焼-有栖川宮家伝来、幹山伝七の逸品

平成26年(2014)3月21日(金) ~ 6月22日(日)
宮内庁三の丸尚蔵館

第65回「佳麗なる近代京焼-有栖川宮家伝来,幹山伝七の逸品」の展覧会図録表紙画像

京焼は華やかな色絵の器などから、都のみやびな近世文化を象徴するやきものとして知られてきました。明治維新後の東京奠都(てんと)以降も、多くの名工を輩出し、近代陶磁の歴史に京焼の存在は欠かすことができません。その中でも、明治前期の京都の窯業界で傑出した存在として挙げられるのが幹山伝七です。

幹山伝七(1821~90)は瀬戸の陶工の家に生まれ、彦根藩の藩窯であった湖東焼を経て、幕末に京都へ移りました。維新後は、京都で最も早く磁器を専業とし、西洋顔料を積極的に取り入れ、大規模な工場を構えて伝統ある京焼に新風を吹き込みました。そして間もなく、幹山の色絵磁器は評判を呼び、宮内省より買上げを受けたほか、海外の博覧会でも高い評価を得ました。

当館が平成17年に御遺贈を受けた旧高松宮家の美術工芸品の中に、この幹山による磁器製の和食器一式が含まれています。その内訳は、鉢、徳利(とっくり)、吸物碗、煎茶碗、焼物皿、菓子皿など合計12種類、約600点にも上ります。その一点一点全てに、写実的で色鮮やかな四季草花図の絵付けが施されています。これらは、幹山の活動期間から推測して、明治前期に有栖川宮家の注文により一括で製作されたとみられます。器の精巧さ、絵付けの細やかさのいずれにも当時の京焼の最高の技術が凝らされており、まさに用と美を兼ね備えた食器と言えるでしょう。

近年、わが国の明治期の工芸は、卓越した技巧により再び脚光を浴びています。そこにまた新たな優品が加わったことを紹介する本展を通じて、この佳麗なる器の数々から、近代京焼の魅力を知っていただく機会となれば幸いです。