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館内展示

第59回
描き継ぐ日本美-円山派の伝統と発展

平成24年(2012)9月15日(土) ~ 11月11日(日)
宮内庁三の丸尚蔵館

第59回「描き継ぐ日本美-円山派の伝統と発展」の展覧会図録表紙画像

江戸時代中期、個性的な絵師が次々と登場し活況を呈していた京都画壇において、円山応挙は独自の写実的な画風を展開し、数多くの弟子を育て、円山派という一つの流派を築き上げました。彼らは内裏造営にも参加するなど、次第に狩野派、土佐派に迫る一大流派となり、さらに四条派や原派、森派などの分派も生まれました。そして幕末にかけてその裾野を広げた円山派は、近代に入って展開する新たな画壇の潮流において、主導的な役割を担うことになりました。

時代が明治に移ると、応挙の画風を継いだ幸野楳嶺や森寛斎といった画家らが、美術団体の如雲社や京都府画学校の設立などに携わり、京都画壇の中心的存在として活躍しました。一方で、幕末から明治にかけて東京(江戸)へ活動の拠点を移す、川端玉章や村瀬玉田、野村文挙のような画家も現れました。特に玉章は、多くの門弟を育成して後には画学校を開き、また東京美術学校の教授ともなって、東京に広く円山派の画風を拡大する大きな役割を果たしました。東西両画壇の円山派の画家たちは、明治21年(1888)に竣工(しゅんこう)した明治宮殿において杉戸絵を始めとする室内装飾に参加したほか、離宮や各御用邸を飾る絵画の御用を数多く手掛け、帝室技芸員にも次々と任命されました。さらに大正期以降では、画家それぞれの個性が尊重される新たな風潮の中で、円山派伝統の写実性に独自の筆致や色彩感覚を取り入れて、円山派の近代化を果たした楳嶺門下の竹内栖鳳や寛斎門下の山元春挙などの登場も見逃せません。

本展では当館収蔵品の中から、応挙とその弟子から、明治以降の円山派の系譜に連なる画家までを展観することで、近世から近代まで連綿と続いた円山派という存在が、結果として近代の日本画をいかに豊かなものにしたかを紹介します。