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館内展示

第33回
若松と菊-旧秩父宮家いつくしみの品々

平成16年(2004)1月6日(火) ~ 3月7日(日)
宮内庁三の丸尚蔵館

第33回「若松と菊-旧秩父宮家いつくしみの品々」の展覧会図録表紙画像

平成8年に、故秩父宮妃から、およそ900点の美術工芸品が当館にご遺贈されました。この度の展覧会では、その中から、秩父宮雍仁親王殿下、そして勢津子妃殿下が親しまれた美術品を通して、その文化的ご活動の一側面を紹介するものです。

秩父宮家は、明治35年(1902)6月25日、大正天皇の第2皇子としてご誕生された雍仁親王殿下が、大正11年(1922)のご成年式を機に秩父宮を宣下され、創立された宮家でした。雍仁親王殿下は、昭和3年(1928)に松平勢津子様とご結婚、以後、お二人で共に皇族としての様々なご活動をされました。しかし、第2次世界大戦という混乱の時代を過ごされる中、殿下は結核を患われ、昭和28年に50歳で薨去。その後、妃殿下は宮家当主として、また皇族のお一人としてご活動を続けられました。雍仁親王殿下のお印は若松、妃殿下は菊でしたが、美術工芸品の品々を収める箱の中には、それぞれのご所有であることを示す若松印、菊印が記され、両殿下がそれらの品々を愛しまれたことがうかがえます。

雍仁親王殿下は、スポーツに親しまれた殿下として知られておりますが、その一方で、幼い頃より美術展に頻繁にお出かけになるなど、文芸へのご理解も早くからありました。宮家には、明治天皇や大正天皇、そして御兄・昭和天皇と、3代にわたる天皇をはじめ、御母上・貞明皇后より、新古を問わず、日本、さらには諸外国の様々な美術工芸品が受け継がれています。また、殿下が結核をご発病になり、御殿場にて療養生活を送られる中では、自ら陶芸にも打ち込まれました。さらに妃殿下においては、書や絵画をたしなまれる一方、宮家に蔵する大切な品々を丹念にご整理されてもおられました。

宮家が設立されて80年、殿下が薨去されて50年が過ぎ、そして妃殿下が薨去されて来年は10年になります。この機会に、宮家に伝えられた美術工芸品を通して、秩父宮同妃両殿下の足跡、お人柄に親しんでいただければ幸いです。